野口体操「鰐腕立て」に共通感覚の「*肘立て伏臥」について

(*羽鳥の造語)

ブログ「羽鳥操の日々あれこれ」より


2012.3.6

三月三日の朝日カルチャーでのレッスンで、はじめて取り入れた動き(姿勢)がある。
 うつ伏せ姿勢をとって力を抜き、全身の重さを床やマットに染み込ませるような感じで緩める。
 まず、そのままのうつ伏せ姿勢で、つま先から踵までを床に対して90度の角度(足の裏を鉛直線に一致させる)で立てる。脚全体は骨盤の幅ですっきり伸ばされていること内側の感覚で探る。
 次に肘から先を伸ばして二の腕(上腕)の骨を床に対して90度の角度(骨の縦軸を鉛直線に一致させる)で立てる。両肘はできるだけ近づける。手は軽く握って親指が天井を向くように左右を合わせる。立った姿勢で祈る時は掌を合わせるが、この場合には他の指の関節は曲げられて丸められた状態で、外側のくるぶしが床に触れるか触れないか位の柔らかさで置かれる。 
 “伏臥のびのび祈り姿勢”をとる為に、全体のバランス感覚(骨格アライメント)を探りながら、腰を床から離し「腕立て伏臥姿勢」ならぬ「肘立て伏臥姿勢」をとる。その姿勢を維持しながら、脚から頭の天頂に、円柱形の柔らかな管をイメージしながら、その姿勢をしばらく維持する。


 この感覚は「鰐腕立て」のはり感と共通である、と気づいたのは、先々週のある日のことだった。
 突っ張りではなく、筋力に頼るのではなく、バランス感覚から生まれる「身体構造維持感覚」とでもいいたい感覚なのだ。腹筋だ、背筋だ、などとある部分の筋肉を意識するのではない。全体のはり感によって保たれている構造にとっぷりつかるような感覚。で、中が空洞の円柱形の柔らかいがしっかりした管が長く伸ばされるような感じの中に浸る。
 鉛直方向に「直立」するのとは異なって、伏臥姿勢の場合にはそれ相当の重さを支えるための筋力は働いている。しかし、積極的に働いている感はなくして行いたい。
『筋肉の存在を忘れよ、そのとき筋肉は最高の働きをするであろう』
『意識の存在を忘れよ、そのとき意識は最高の働きをするであろう』
 野口のことばだが、その実感が得られたら、最高なのだ。


 さて、この「肘立て伏臥姿勢」は、腕立てバウンドの基本感覚だ、と気づいた。特に女性には、よい感覚刺激になってくれる。
 また、「野口流ヨガ逆立ち法」の場合も、この感覚が生きてくると、からだの前面(腹側)全体のイメージにはりがもてる。すると何が起こるのか?背中側に緩みが生まれる。前側で支えられると安心して背中側が緩められる。向こう側に倒れる恐怖感を、腹側(前面)で支えられるから、からだの前後で拮抗関係が成り立つ。動いていく方向(背中側)の筋力を出来るだけ使わない感覚で動くには、腹側(からだの前側)に僅かなはり感(支え感)が自然に起こると、腰全体にふわっと回転が起こることになる。


 さて、今日のテーマ「肘立て伏臥(羽鳥の造語)」は祈りの新しい姿勢でもある、と捉えなおせば「体操とは祈りである」という野口のことばの真意がはじめてつかめたような気がする。